20代の頃、はじめて本場スペインでフラメンコレッスンを受けた時、今まで習ってきたフラメンコは何だったんだろうとショックを受けました。このままでは絶対帰れない、もっともっと知りたいと思い、そのまま15年間スペインに住みフラメンコを学び続けました。
うまく就労ビザが下り、望んでいたスペイン生活が始まリましたが、最初の2年が思うように踊れず、本当に苦しかった。働きながら、貪欲に食らいつき、踊りと向き合いました。
やがてレッスンや生活に慣れてきた頃、鏡に映る自分の踊っている姿を見ながらふと、スペイン人との違いは骨格の違いではないか? と気付きました。西洋人と日本人では、肩の開き方、お尻や腕の付き方が違います。
それが分かってから、私は日本人でも強く、情熱的に、また美しく踊れるフラメンコを追求するようになりました。
スペインでは、誰かを上手にコピーしても褒められません。誰かのコピーには価値がないということを徹底的に教え込まれます。
私もまた、日本人であること、私が私であることを大切に、私のフラメンコを身につけました。
伝統を大切にしながらも日々進化するフラメンコだからこそ、教科書通りではなく、自分らしく踊ってほしい。それが本場スペインのフラメンコなのです。
私の教室では皆さんの個性を大切に、それぞれが自分らしく踊れるようなレッスンを目指しています。
Asi soy yo.Y soy libre
「これが私、私は自由」
1996 |
渡西。La China、María Magdalena、El Ciro、Julio Principe、Rafaela Carrasco、Manuel Liñan、La Talegona、Inmaculada Ortega、Domingo Ortega、Javier Latorre、Maria Juncal、Manuel Reyes… 数多くのマエストロスに師事、大きく影響を受ける。 |
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2003 | Cristina Martos、Monolo puntoと共に、tres mundo舞踊団を結成し、フランスの国立劇場にて公演。 |
2004 | Rebecca Tomásと共にyedra舞踊団を結成、アメリカニューヨーク州各地で公演。 |
2005 |
同作品をマドリッドにて公演。スペインにてマドリッドのタブラオ、イベント、ペーニャなどにも出演を重ね、教授活動も行う。 短期での日本帰国の際にも劇場、イベント、ライブ、ディナーショーなどに出演。 AMラジオ番組、FMラジオ番組などにも招待され、スペイン時事、フラメンコなどで現地の声として出演する。 またこの頃から帰国となる2010年まで、日本国内においても数々の劇場、イベント、ライブ、ディナーショーなどへの出演を重ねた。 |
2008 | flamenco vive舞踊団に加入。スペインで有名なtorrelodoresフラメンコフェスティバルにおいて”el pasaporte flamenco”に出演する。 |
2010 |
フランスの最大フラメンコフェスティバルの一つであるニームフラメンコフェスティバルにてflamenco vive舞踊団として同作品に出演する。 日西商業会議所とマドリッド市役所から発刊された”12人現地邦人に聞くマドリッドガイドブック”madrid, de japones a japones”に選ばれる。 イタリア、トリノにてalma flamenca舞踊団の招待で、国立自然科学博物館ステージにおいて”tablao”にゲスト出演。 TABLAO ESPECIAL DE AGOSTO jueves, 05 de agosto de 2010 a las 22:00 Cortile Della Farmacia presso il Museo di Scienze Naturali スペイン在住15年を経て日本に帰国。 |
現在 |
関西、沖縄を中心に後進の育成にあたる。 2016年5月淀屋橋にスタジオオリパンドを設立。 LIVEやイベントの出演・企画、スペイン人アーティストを招いてのレッスンを企画開催するなど精力的に活動中。 |
現在、イベント出演やイベント企画などをお請けしています。
出演依頼などは下記よりお問い合わせください。